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-南モンゴルの歴史-

   モンゴルとはモンゴル国と中華人民共和国の内モンゴル自治区を合わせた区域です。
 
  
 中国領内に住むモンゴル人は蒙古族と呼ばれ中国の少数民族のひとつに数えられています。
 
  
 戦国時代には趙、燕、匈奴、東湖などと呼ばれ、秦・漢代には郡が、唐代には多州が置かれて
      いました。
      蒙古族が中国統一を果たした元朝では各路の管轄下に置かれました。
      17世紀前半には清朝が征服、蒙古と名づけられました


年 代 歴 史
紀元前3世紀末 モンゴル高原の遊牧部族が匈奴帝国を築く 匈奴帝国
紀元前1世紀末 鮮卑がモンゴル高原を占拠、南モンゴル・華北に移動
匈奴帝国衰退
4世紀 北境の匈奴、晋朝を滅ぼす「五胡十六国の乱」
柔然が北モンゴルに
柔然帝国建国
551年 突厥部族により柔然帝国崩壊
7世紀中 モンゴルの名を持つ集団が中国の史書に初めて現れる
「旧唐書」では「蒙兀」、「新唐書」では「蒙瓦」(ともにモンゴルの音訳)
744年 ウイグル帝国
10世紀初 契丹の遼帝国がモンゴル高原進出
12世紀初 女真族により遼帝国滅亡
 金帝国。南モンゴルは金領となる
 
チンギス・ハーン、金帝国と同盟しつつモンゴル高原の諸部族を統合
1206年 チンギス・ハーン大(イェケ)モンゴル・ウルス モンゴル帝国を築く
1260年 大ハーンとなったフビライが元を建国 中国に元王朝
1368年 元、明に敗れ中国の支配権を失う。モンゴル高原に北走して北元となる
1388年 時の皇帝、天元帝トクズ・テムルの暗殺により北元崩壊
1616年 ヌルハチ(太祖)が女真族統一。二代ホンタイジ(太宗)、山海関以北の明の領土と南モンゴルを征服清の支配下に置かれる
1628年〜1635年 清の南モンゴル侵略・併合
1636年 「元朝伝国璽」を得て、大清皇帝として即旗。清建国。モンゴルは清朝に帰属
1911年 辛亥革命により清朝崩壊。中国・中華民国。チベット独立。北モンゴル(現在のモンゴル国)独立宣言、ジェプツンダンバ・ホトクトが政権を樹立
南モンゴルは中華民国の支配下に
1912年 全モンゴル統一を目指すホトクト政権と、 南モンゴルを支配下に置こうとする中国との間で戦闘が勃発。中国は北モンゴルの自治権を認める
1915年 ロシアは中国の北モンゴルに対する宗主権を承認、中国は北モンゴルの自治を認める
1921年 北モンゴル独立
1924年 北モンゴル、ソ連の衛星国としてモンゴル人民共和国となる
1932年 日本・満州(現在の中華人民共和国東北地区及び南モンゴル北東部)に満州国建国
1934年 南モンゴル・チャハル部の王公の子・徳王、百霊廟蒙政会を組織し中華民国に対し、
完全独立の前段階、高度自治を要求
1936年 日本の支援のもと蒙古軍政府を樹立
1937年 蒙古連盟自治政府樹立
蒙古連盟自治政府に改称。南モンゴルには同じく日本の支援で察南自治政府・晋北
自治政府
樹立.
蒙古連盟、察南、晋北自治政府が連合、
蒙疆連合委員会成立。委員長・徳王
1939年 5〜9月 満蒙国境のノモンハンで外蒙古軍ハルハ河を渡河、満洲国軍と衝突.ノモンハン
事件
(南モンゴルで起こった日本軍とソ連軍・モンゴル軍による国境紛争)
日本の興亜院蒙疆連絡部・蒙疆軍司令部の下で三自治政府統合。
蒙古連合自治政府
樹立

徳王・主席、于品卿と夏恭が副主席
1941年 蒙古自治邦と改称し半独立国となる
1945年 日本の敗戦、満州国皇帝退位の詔勅により満州国・蒙古自治邦崩壊ソ連軍占領
その後の南モンゴルは東部に
東蒙古人民自治政府・内蒙古第二自治共和国、西部に
徳王が組織した
蒙古自治準備委員会、蒙古自治政府を樹立
1946年 4月 ソ連より満州が中華民国に返還。八路軍のゲリラ戦活発化、中国共産党侵攻
1947年 ウランフを長とする内モンゴル自治区人民政府成立
1949年 中華人民共和国成立。徳王ウランバートルに亡命内蒙古自治区が作られる
1950年 徳王、ソ連の命令で中国に身柄送還。張家口収容所に収監
1960年後半
〜70前半
文化大革命・ウランフ失脚
1963年 徳王釈放
1966年 徳王・内モンゴル自治区フフホト市で逝去
1967年 フフホトに革命委員会成立
1968年 内蒙古人民革命党事件・数万人が迫害を受け、1万6000人以上が殺害される
1969年 内モンゴル生産建設兵団設置(中ソ対立・軍事的緊張)
1970年 行政区画の大幅な変更
南モンゴル東部は東北三省に、西部は寧夏、甘粛に分割
1979年 行政区画復旧
1981年 内モンゴル民族民主運動 南モンゴルで漢民族大量移民に反対する学生運動・数万人
が参加
1992年 南モンゴル民主連盟(SMDA)設立
1995年 12月 南モンゴルのモンゴル人に対する中国政府の圧政に反対して平和的デモと大学
における学生ストを組織したかどで、ハダ、テクシ両氏およびSMDAのメンバーと支持者
70名以上を逮捕・拘束。中国当局は同連盟を分離活動に従事する非合法組織と告発
1996年 12月 テクシ氏は、政府転覆および国家分離罪で懲役10年の刑、ハダ氏は国家分離
およびスパイ活動罪で15年の刑の判決
1997年 3月 アメリカで「内モンゴル人民党」(Inner Mongolian People's Party)設立
 
5月上旬 モンゴルの首都ウランバートルで、モンゴル族中国留学生と地元学生のグル
ープが中国当局の南モンゴル独立派弾圧に抗議して、中国大使館前でデモを行う。
学生らは「五星紅旗」を燃やし独立運動活動家の釈放を要求。
(中国から米国に留学しているモンゴル族学生の一部が独立を目指す「内モンゴル人民党」を結成するなど、海外での独立運動が活発化したため、内モンゴル自治区当局は独立派とみられる元留学生を次々と拘束。ウランバートルで学ぶモンゴル族留学生がこれに反発し、南モンゴル独立論に同調する地元の学生とともに抗議デモを行う。)
1998年 10月 ニューヨークで「中国少数民族大会」開催
2000年
アメリカ、ニューヨークにおいて「南モンゴル人権情報センター
 Southern Mongolian Human Rights Infomation Center(SMHRIC)
創設
2002年 12月12日 南モンゴル民主連盟(SMDA)の前副会長テクシ氏(37)が7年間の服役を終え、
フフホト市刑務所から釈放。
2004年 10月29日 チンギス・ハーン廟売却に対してモンゴル人が抗議運動
午前8時から深夜0時まで、内モンゴル自治区フフホト市の内モンゴル師範大学、内モンゴル
大学、モンゴル民族専科大学(「蒙専」)など主な大学に何百人もの武装警官および安全(公
安)局員が配置され、夜間外出禁令が出された。師範大学の多目的ホールで予定されていた
モンゴル国の人気バンド「ホルド」のコンサートは、約2000人が集まっていたにもかかわらず
突然中止となった
2005年 5月1日 スウェーデンのストックホルム市において、内モンゴル人民党とスウェーデン・モン
ゴル委員会のメンバーらが、中国による南モンゴル占領58周年をアピールするためデモを
行う。中国政府の58年におよぶ南モンゴル占領体制を強く非難
2006年 2月26日 内モンゴル人民党東京宣言
2010年 11月1日 ウランバートル宣言


参照: 南モンゴル人権情報センター/リー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』