| 年 代 |
歴 史 |
| 紀元前3世紀末 |
モンゴル高原の遊牧部族が匈奴帝国を築く 匈奴帝国 |
| 紀元前1世紀末 |
鮮卑がモンゴル高原を占拠、南モンゴル・華北に移動
匈奴帝国衰退 |
| 4世紀 |
北境の匈奴、晋朝を滅ぼす「五胡十六国の乱」
柔然が北モンゴルに柔然帝国建国 |
| 551年 |
突厥部族により柔然帝国崩壊 |
| 7世紀中 |
モンゴルの名を持つ集団が中国の史書に初めて現れる
「旧唐書」では「蒙兀」、「新唐書」では「蒙瓦」(ともにモンゴルの音訳) |
| 744年 |
ウイグル帝国 |
| 10世紀初 |
契丹の遼帝国がモンゴル高原進出 |
| 12世紀初 |
女真族により遼帝国滅亡
金帝国。南モンゴルは金領となる
チンギス・ハーン、金帝国と同盟しつつモンゴル高原の諸部族を統合 |
| 1206年 |
チンギス・ハーン大(イェケ)モンゴル・ウルス モンゴル帝国を築く |
| 1260年 |
大ハーンとなったフビライが元を建国 中国に元王朝 |
| 1368年 |
元、明に敗れ中国の支配権を失う。モンゴル高原に北走して北元となる |
| 1388年 |
時の皇帝、天元帝トクズ・テムルの暗殺により北元崩壊 |
| 1616年 |
ヌルハチ(太祖)が女真族統一。二代ホンタイジ(太宗)、山海関以北の明の領土と南モンゴルを征服。清の支配下に置かれる |
| 1628年〜1635年 |
清の南モンゴル侵略・併合 |
| 1636年 |
「元朝伝国璽」を得て、大清皇帝として即旗。清建国。モンゴルは清朝に帰属 |
| 1911年 |
辛亥革命により清朝崩壊。中国・中華民国。チベット独立。北モンゴル(現在のモンゴル国)独立宣言、ジェプツンダンバ・ホトクトが政権を樹立
南モンゴルは中華民国の支配下に |
| 1912年 |
全モンゴル統一を目指すホトクト政権と、 南モンゴルを支配下に置こうとする中国との間で戦闘が勃発。中国は北モンゴルの自治権を認める |
| 1915年 |
ロシアは中国の北モンゴルに対する宗主権を承認、中国は北モンゴルの自治を認める |
| 1921年 |
北モンゴル独立 |
| 1924年 |
北モンゴル、ソ連の衛星国としてモンゴル人民共和国となる |
| 1932年 |
日本・満州(現在の中華人民共和国東北地区及び南モンゴル北東部)に満州国建国 |
| 1934年 |
南モンゴル・チャハル部の王公の子・徳王、百霊廟蒙政会を組織し中華民国に対し、
完全独立の前段階、高度自治を要求 |
| 1936年 |
日本の支援のもと蒙古軍政府を樹立 |
| 1937年 |
蒙古連盟自治政府樹立
蒙古連盟自治政府に改称。南モンゴルには同じく日本の支援で察南自治政府・晋北
自治政府樹立.
蒙古連盟、察南、晋北自治政府が連合、蒙疆連合委員会成立。委員長・徳王 |
| 1939年 |
5〜9月 満蒙国境のノモンハンで外蒙古軍ハルハ河を渡河、満洲国軍と衝突.ノモンハン
事件(南モンゴルで起こった日本軍とソ連軍・モンゴル軍による国境紛争)
日本の興亜院蒙疆連絡部・蒙疆軍司令部の下で三自治政府統合。蒙古連合自治政府
樹立
徳王・主席、于品卿と夏恭が副主席 |
| 1941年 |
蒙古自治邦と改称し半独立国となる |
| 1945年 |
日本の敗戦、満州国皇帝退位の詔勅により満州国・蒙古自治邦崩壊ソ連軍占領
その後の南モンゴルは東部に東蒙古人民自治政府・内蒙古第二自治共和国、西部に
徳王が組織した蒙古自治準備委員会、蒙古自治政府を樹立 |
| 1946年 |
4月 ソ連より満州が中華民国に返還。八路軍のゲリラ戦活発化、中国共産党侵攻 |
| 1947年 |
ウランフを長とする内モンゴル自治区人民政府成立 |
| 1949年 |
中華人民共和国成立。徳王ウランバートルに亡命内蒙古自治区が作られる |
| 1950年 |
徳王、ソ連の命令で中国に身柄送還。張家口収容所に収監 |
1960年後半
〜70前半 |
文化大革命・ウランフ失脚 |
| 1963年 |
徳王釈放 |
| 1966年 |
徳王・内モンゴル自治区フフホト市で逝去 |
| 1967年 |
フフホトに革命委員会成立 |
| 1968年 |
内蒙古人民革命党事件・数万人が迫害を受け、1万6000人以上が殺害される |
| 1969年 |
内モンゴル生産建設兵団設置(中ソ対立・軍事的緊張) |
| 1970年 |
行政区画の大幅な変更
南モンゴル東部は東北三省に、西部は寧夏、甘粛に分割 |
| 1979年 |
行政区画復旧 |
| 1981年 |
内モンゴル民族民主運動 南モンゴルで漢民族大量移民に反対する学生運動・数万人
が参加 |
| 1992年 |
南モンゴル民主連盟(SMDA)設立 |
| 1995年 |
12月 南モンゴルのモンゴル人に対する中国政府の圧政に反対して平和的デモと大学
における学生ストを組織したかどで、ハダ、テクシ両氏およびSMDAのメンバーと支持者
70名以上を逮捕・拘束。中国当局は同連盟を分離活動に従事する非合法組織と告発 |
| 1996年 |
12月 テクシ氏は、政府転覆および国家分離罪で懲役10年の刑、ハダ氏は国家分離
およびスパイ活動罪で15年の刑の判決 |
| 1997年 |
3月 アメリカで「内モンゴル人民党」(Inner Mongolian People's Party)設立
5月上旬 モンゴルの首都ウランバートルで、モンゴル族中国留学生と地元学生のグル
ープが中国当局の南モンゴル独立派弾圧に抗議して、中国大使館前でデモを行う。
学生らは「五星紅旗」を燃やし独立運動活動家の釈放を要求。
(中国から米国に留学しているモンゴル族学生の一部が独立を目指す「内モンゴル人民党」を結成するなど、海外での独立運動が活発化したため、内モンゴル自治区当局は独立派とみられる元留学生を次々と拘束。ウランバートルで学ぶモンゴル族留学生がこれに反発し、南モンゴル独立論に同調する地元の学生とともに抗議デモを行う。) |
| 1998年 |
10月 ニューヨークで「中国少数民族大会」開催 |
| 2000年 |
アメリカ、ニューヨークにおいて「南モンゴル人権情報センター」
Southern Mongolian Human Rights Infomation Center(SMHRIC)創設
|
| 2002年 |
12月12日 南モンゴル民主連盟(SMDA)の前副会長テクシ氏(37)が7年間の服役を終え、
フフホト市刑務所から釈放。 |
| 2004年 |
10月29日 チンギス・ハーン廟売却に対してモンゴル人が抗議運動。
午前8時から深夜0時まで、内モンゴル自治区フフホト市の内モンゴル師範大学、内モンゴル
大学、モンゴル民族専科大学(「蒙専」)など主な大学に何百人もの武装警官および安全(公
安)局員が配置され、夜間外出禁令が出された。師範大学の多目的ホールで予定されていた
モンゴル国の人気バンド「ホルド」のコンサートは、約2000人が集まっていたにもかかわらず
突然中止となった |
| 2005年 |
5月1日 スウェーデンのストックホルム市において、内モンゴル人民党とスウェーデン・モン
ゴル委員会のメンバーらが、中国による南モンゴル占領58周年をアピールするためデモを
行う。中国政府の58年におよぶ南モンゴル占領体制を強く非難 |
| 2006年 |
2月26日 内モンゴル人民党東京宣言 |
| 2010年 |
11月1日 ウランバートル宣言 |