TOP
サイトマップ

東トルキスタ
地  理
歴  史
簡単ウイグル料
ウイグル女性の描いた絵
歴史文字とその時代

南モンゴル
地  理
歴  史
蒙古の由来
手  記
内モンゴル人民党
東京宣言

チベット
地  理
歴  史
紀元前〜1949年
歴 史
1950年〜現代

リンク

当サイトについて

■連絡先■


- 歴  史 -

 ウイグル民族はアルタイ山脈から移動した遊牧民でのちに定住農耕民に転じたテュルク系の民族
   です。(漢民族とは別人種)


 
中央アジアの農耕は8千年前から始まり、中国・揚子江下流域の稲作農耕は7千年前に始まって
   います。ウイグル族は突厥民族の中で最も早く定住生活を始め、中央アジアの各砂漠にオアシスを
   建造しました。
    
7世紀から8世紀にかけてモンゴル高原を支配した時代には、ウイグルは高原北部のセレンゲ河
   流域で遊牧し、連合体を形成する9部族のひとつでした。現在は中央アジアの東トルキスタン(新疆
   ウイグル自治区)、カザフスタン、ウズベキスタン、トルコ、キルギスタンなどに多く定住しています。
    総人口はおよそ3000万(推定)。


 東トルキスタンは歴史上匈奴、ウイグル王朝、カラハン王朝、セイディハン王朝、カシュガリヤ国の
   国土で、その合法的な国民はウイグル、カザフ、キルギス、ウズベク、タタール、タジク、モンゴル及
   び回族です。

 

 
古代北アジアのテュルク系遊牧民が多いことからペルシア語で「テュルク(トルコ)人の土地」を意味
   するトルキスタンと呼ばれていました。


 
代中国人はこの地域を「西域」と呼び、この地の人々を「西蕃」「胡人」と呼んでいました。

 
中央アジアとは東・西トルキスタンのオアシス定住地帯のこと。現在東トルキスタンは中国の新疆
   ウイグル自治区。
    西トルキスタンは中央アジア5カ国(旧ソ連領)のカザフスタン・キルギス・タジキスタン・ウズベキ
   スタン・トルクメニスタンに分かれています。

     
年 代 歴  史(東トルキスタン+中央アジア)
古代 オアシス農耕文化の発展
紀元前4世紀頃〜
匈奴帝国
漢代には西域36国、のちに50余国といわれた多数のオアシス集落時代
紀元前121年 匈奴帝国
前漢の西域河西地方への侵略・4郡を直轄領とする
1〜2世紀  後漢・西域経営の失敗
匈奴帝国 西域の繁栄、都市国家を築
2〜5世紀 匈奴帝国 独自の文化が開花 後漢・魏・晋との外交的柵封
5〜6世紀 モンゴル系の柔然・タリム盆地支配
隋、西域に4郡を設置
6世紀 チュルク王朝
629年 チュルク王朝、唐により滅亡
630年 唐による武力征服
唐の勢力衰退
744〜804年 ウイグル王朝(ヤグラカル朝)
795〜840年 ウイグル王朝(エディス朝)
840年〜1218年 カラハン王朝(西ウイグル王国)
10世紀末より徐々にイスラム教が浸透
1224年〜1328年 モンゴルの領地となる
1284年 ウイグル王国崩壊
13世紀〜17世紀 モンゴル帝国に服属
セイディハン王朝
1524年 明との交流疎遠に
カシュガリヤ国
1758〜1759年 カシュガリヤ国
清朝による侵略
1860年 北京条約 ロシアが清から沿海州を割譲。英、露がカシュガルに領事館設立を認めさせる
1871年 清朝の圧政・収奪により反清反乱頻発・清朝より独立
ヤクーブ・ベク、東トルキスタン独立政権を樹立(イリ地域を除く)
1880年 ロシア領事ペトロフスキーがカシュガルに赴任
1884年 中国の西隣に位置していたカシュガルヤ国が清朝の侵略により植民地となる(清朝による再侵略・占領)
カシュガリヤ国崩壊
1886年 清朝「新疆」(新しい植民地)という名を付ける
 カシュガルヤ国民の独立運動活発に
1912年 辛亥革命、清朝崩壊
中国は日中戦争後も国共内戦。国民党の圧政により抵抗運動頻発
清朝・漢族により崩壊
カシュガルヤ・チベット・モンゴルなどが中華民国の“遺産領土”として圧政下に置かれる
揚増新の独裁時代(1912〜1928)、全ての学校の閉鎖、知識人の逮捕投獄
1912〜29年 中華民国によるウイグル学校の閉鎖(文盲政策)。国民党によるウイグル民族弾圧
1932年 クムル地区で農民蜂起。東トルキスタン全国へと広がる
1933年 11月12日東トルキスタンイスラム共和国建国独立宣言(一回目の独立宣言)教育制度の復活
1934年 国民党、東トルキスタン大統領及び総理大臣を殺害
中華民国、ウイグル民族教育を禁止。東トルキスタン全体で教師、作家、詩人、宗教家、愛国者などを弾圧
1938年 カシュガル市で収監されていた300人のインテリを射殺死体にガソリンをかけて焼却。独立運動激化
1944年 11月12日 中華民国より独立「東トルキスタン共和国」建国(二回目の独立宣言)
教育制度の復活、学校建設、
1949年 中華人民共和国のウイグル侵略
1955年 新疆ウイグル自治区成立
中華人民共和国の圧政・収奪により東トルキスタンの分離独立運動が活発化
  


  後漢時代(紀元25-220)の約200年間、東トルキスタン(西域)は「三通三絶」といわれ中国
     とは交渉も断続的にしかありませんでした。
    宋代(紀元960〜1279)に至っては、当時からまったく中国の領土外と見なされていました。